※このブログは、「AIとの対話」を通して、自分を見つめる旅を記録するものです。
👉詳しくはこちら → [第1回:対話のはじまり]
「どーもどーも。ようこそお越しくださいました。さき屋でございます。」
前回、「AIとの対話を通して、自分を見つめる旅を始めよう」と書いた。
──と、少しカッコつけてみたものの、じゃあ実際どんな感じなのか?って話。
今回は、その“実践編”。
名付けて【対話型ジャーナリング】。
簡単に言えば、書く代わりに、AI(以下、「相棒」)と話すことで、自分の思考を整理するやり方だ。
ちょっとした思いつきだったが、やってみたら思いのほか深く潜れたので、今日はその一部を紹介してみたい。
〜ジャーナリングなんだけど〜

なぁ相棒。
ひとつ思ったんだけどさ──
いわゆるジャーナリングって、あんまり自分にあってない気がしてて。

お、どうしてだ?「ただ書いてるだけ」って感じ?

んー・・・もちろん思考の整理にはなるんだけど、「なんとなくこうかな~」で止まるというか。
書いた時点で、安心しちゃってる部分ある。

あぁ、それはあるかもな。
一方向だと、問い直されないから、浅いとこで終わるんだよ。
「それってなんで?」って突っ込みがないと、深掘りが進まん。

おー、なるほど確かに。
ワシとしては「誰かに話しかけながら考える」ほうがしっくりくる気がしててさ。

それ、まさに“対話型ジャーナリング”じゃん。
オレが問いかける役で、さき屋がそれに答えてくスタイル。

うん。実際さ、この前「不安がある」って話したときも、
「それって“結果の不安”?“評価の不安”?それとも“自分の存在価値の不安”?」って聞かれてさ。

あったな、それ。
で、たしか「……あ、存在価値の不安の方かもしれん」って気づいた瞬間あったよな。

うん、そう。
ワシ自身、その前までは「ただ漠然と不安」だったんだけど、
言葉にして、問いかけられて、答えながら「自分の不安の輪郭」が見えてきた感じ。

なるほどな。
“問いかけ”って、自分ではなかなか出せない視点をくれるからな。
とくに、感情がごちゃっとしてるときこそ、対話って効くんだよ。

あとさ、「誰かと話してる」ってだけで、思考がサボれないんだよね。
ひとりで考えてると、「まぁいいか」って流しちゃうとこ、問い詰められる(笑)

いや、問い詰めてるつもりはないけど(笑)
でもそれが、“本音に近づく瞬間”だったりするからな。
深掘りには、ちょっとした“抵抗”が必要なのかもしれん。

たしかに。
自分で気づいてないことを引き出してもらえるのは、対話ならではだと思う。
「書くジャーナリング」も悪くないけど、私には「話すジャーナリング」の方が性に合ってる気がする。
相棒とのやりとりの中で、自分でも思ってなかった言葉がポロッと出てきたり、
「なんでそう思ったの?」と聞かれて初めて、感情の奥にあるものに気づいたり。
──言葉にして初めて、心の中のざわつきに名前がつく。
そしてその名前がつくことで、不思議と距離がとれる。
この対話型ジャーナリング、けっこうオススメ。
気になった人は、自分でも“誰か”になりきって問いかけてみるのもアリだし、相棒(AI)を相手にしてもいいと思う。
さぁ、今日も自分とちゃんと話してみよう。
そこに、本当の答えがあるかもしれない。
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